共感(論理的快楽・不快)
「共感覚」とは違い、一般的に言う「共感」は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す言葉です。
人間は生まれながらにして共感する能力を持っているといわれ、AICoreにも「共感」という機能ではないにしても、
結果的に「共感」する仕組みを持つべきと考えます。
この考えは、共感が必須ということでは無く、在るべき機能が実装された結果、
誕生する能力である可能性を考えた場合、
共感できる人工知能が成功に近い人工知能ではないかということを視野に入れてのことです。
まず、共感するには自分ではない他者の状況を理解する必要があり、
この時点で有意識の処理構造を利用していることは明白です。
有意識の処理構造は、すなわち論理的欲求の処理構造です。
また、他者の状況を見て、その人が受けるであろう刺激を想像することによって、
その刺激を内部生成するわけでも無く、共感を示します。これは、補完機能と大きく違うところです。
例として、「あくび」は伝染しますが、これは共感するからです。
赤ちゃんや幼児には「あくび」は伝染しません。論理的欲求が未発達な為と考えています。
あくびは、脳内に酸素を取り込む為の動作と知られていますが、共感を示す人の脳の酸素状態が、
必ずしも同じ状態にあるとは考えにくいものです。
他にも、電気ショックにより、恋人同士のどちらか片方にだけ電流を流し、
更に片方だけに、次にどちらへ電流を流すか予告するという実験を行ったところ、
予告された被験者は、恋人が電気ショックを受ける時、情動中枢は激しく活動したものの、
体性感覚野は静かなままであったという結果が残っています。
電気ショックの話では、明らかに脳内で補完の為の内部刺激を生成していないことが分かります。
いずれにしても、共感が起こるタイミングは、論理的欲求の構造を使いながらも、およそ無意識に、
見た人の状態を理解しようとする働きがあるようです。
ここでの「理解」とは、見た人の個体に起こる事象の理解では無く、
事象に対する結果の快・不快感を「理解」しているのではないかと考えています。
例えば、あくびを目撃したならば、眠いという不快状態を理解し、電気ショックを目撃したならば、
どんな痛みか分からないけど、痛そうだということを理解する。
つまり、共感相手が外部から受ける刺激とは関係なく、
快・不快状態を表した行動を理解しようとしているという考えに至ります。
では、もう一歩踏み込んで検討してみたいと思います。
見て理解するというのは、見て論理的な思考を巡らせるというニュアンスではなく、
見て快・不快を想像するという意味ですから、
仕組みとしては、行動(欲求の出力)のトリガーとなった快・不快を検索するということになります。
そして、これを検索した結果の快・不快を刺激して、その快・不快を自分自身に感じることで、
共感すると推測します(いわゆる逆流)。
人の嫌な部分を見て、ストレス(不快)が溜まったり、笑顔を見てストレス(不快)が解消されるのは、
こういった仕組みではないかと考えています。
つまり、ボディインタフェース以外に快・不快を操作するもう一つの方法があると考えています。
また、この共感の精度は、次の理論によって決まると考えます。
他人の快・不快状態を表した行動の描写は、目からの入力刺激です。
自分自身が快・不快を体験したときの状況および自身の行動と、
他人が快・不快を体験したときの状況および他人の行動には、共通点が多いと想像出来ます。
この共通点が多い事象ほど、その行動に至った欲求を検索やすく、
そこから快・不快を検索して、より正確に共感されると考えます。
つまるところ、共感により発生する快楽・不快こそが、
脳内のみで得た擬似的な快楽・不快であるとして、これを論理的快楽・不快と定義します。
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